2013/6/8(土)狩野泰一 篠笛コンサート


第2回のNEO證誠プロジェエクトイベントが決定いたしました。


[狩野泰一氏 略歴]
 1963年東京生まれ。13歳でドラムを始め、一橋大学在学中にライブ活動を開始する。ニューヨーク留学中、自己のアイデンティティーに目覚め帰国。1987年「鼓動」のメンバーになって以来、カーネギーホールを始めとする世界20カ国で1000回を超える公演に参加し、1997年に独立。

 佐渡島に暮らしながら日本古来の「篠笛」の可能性を広げ、2005年ヤマハからメジャーデビュー。自然でここちよい楽曲を発表し続けている。
これまで、南こうせつ、サリナ・ジョーンズ、中西圭三、河村隆一(敬称略)など多くのアーティストと共演。近年は、欧米、インド、中東、アフリカ等活動の幅を世界に広げ、塩谷俊監督の映画「種まく旅人」、復興支援の演劇「HIKOBAE」の音楽プロデュースも手掛けている。

 篠笛ワークショップを全国で展開して、祭の楽しさを伝え、鳥笛ワークショップ等で自然の素晴らしさ、大切さを訴えている。「あそびも仕事も創るもの!」等、篠笛演奏を交えての講演会は各方面で好評。

2013年 新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。
深々と雪が降り積もり、本山も雪化粧をまとっております。


 昨年少人数で発足したNEO證誠プロジェエクト。我々NEO證誠プロジェエクトにとって、とても大きな挑戦の年となりました。證誠寺での初のイベント開催ということもあり、未経験な私達には、まるで暗闇の迷路の中から一つの小さな光を見つけるようなもので、試行錯誤の中で前進しようと努力をいたしました。しかし、初めてということもあり、至らない点、反省すべき点も多々ございました。
 ですが今回、NEO證誠プロジェエクトイベント第1弾として、證誠寺御影堂をお借りし高橋竹山先生にコンサートを行っていただいたことは、私達NEO證誠プロジェエクトにとって大きな一歩となりました。今回のイベントで経験した様々なことを糧に、次に繋げていきたいと強く思っております。その際は、たくさんの方々のお言葉、優しさ、ご尽力並びに様々なご意見を頂戴いたしました。今年は、そのお気持ちに応えられるよう、更に努力をいたします。
 第1弾で種が生まれ、イベントを重ねる毎にその種が成長し、いつか大輪の華を咲かせられるよう、これからも日々精進していく所存であります。

これからもみなさまのお力添え、ご協力を賜りたく今後ともよろしくお願い申し上げます。
旧年中は大変お世話になりました。何卒今後とも宜しくお願い申し上げますと共に、みなさまのご健勝を心より願っております。

高橋竹山コンサートレポート



2012年10月21日、NSP(ENO證誠プロジェクト)の初イベントとして、2代目高橋竹山氏のコンサートが證誠寺にて行われた。

 津軽三味線は、今日まで過ごしてきた私にとっては縁遠く、初めて聞く音色や歌であった。静かな三味線の旋律が会場に響き渡り、それは時に力強く、時に繊細にして、多彩な音色を奏でていった。約180年前に生まれた音は廃ることなく、色とりどりの音色を響かせる三味線のそれを受けた私は、今まで感じたことのない世界に圧倒されるばかりであり、それはまるでその当時生活していた人々の活気ある声や、その土地の声が聞こえてくるようであった。



 津軽三味線の音色と共に見えてきたものは四季折々の風景であった。最初は緩やかに穏やかに、そして徐々に力強く弾かれる弦の音は、まるで人間・自然が生まれ持った生命のエネルギーを沸々と湧き上がらせるものであった。自然と背筋が伸び、音と共に心の旋律までもが、ぴんと張っていくようだった。七色では収まりきらない交差する津軽三味線の繊細な音色と、竹山氏の歌声が重なった時、その音の世界はより大きく創大なものへと変化し、多様に折重なる津軽三味線の音の世界に私は感動した。



 演奏が終わると共に、盛大になっていく拍手を耳にするたびに「あぁ、私だけでなく会場にいるみんなの心にも響くものがあったのだ。」と感じた。そして、竹山氏と観客が一緒に声を重ねて歌っていた時、私は何かしら心からあたたかいものが湧き上がってくるのを感じた。楽しそうに、嬉しそうに手拍子を交えてみんなで奏でられる歌は、津軽三味線だけでなく、人の心が一体となることによって初めて生まれるのだと思った。



 演奏が終わり、帰宅の途へ着く観客たちの顔は誰もが笑顔で、「来てよかった」と何度も何度も繰り返し言って帰られる方もおられた。今回のイベントを通して、私は「人の心」を通じて感動や幸せを伝えられることを改めて感じた。みんなが笑顔で帰宅していく姿がとても嬉しく、NSPとしてこれから取り組むことは、人を、心を笑顔にできるイベントに取り組んでいくことだと私は思った。今回のコンサートは、まだ右も左も分からない私たちNSPのメンバーに、これから何を目指して何に取り組むべきか道標を示してくれたと思った。



 今回、無事に高橋竹山コンサートを證誠寺にて開催できましたことに、竹山氏をはじめといたしましてご協力いただきました人々に感謝申し上げますと共に、同時に安堵し又次回に向けまして多くの課題も見つかったのではと感じたのも、私自身正直なところでもある。これからも、竹山氏のように凛とした姿勢で、思いやりを持ちながら、1人でも多くの人を笑顔にできるイベントを行っていきたい。

2012/10/21(日)高橋竹山コンサート


日時:2012年10月21日(日) PM6:00開演
会場:證誠寺(しょうじょうじ)御影堂
料金:3,000円(当日500円増し)


<二代目高橋竹山 プロフィール>

幼少の頃に三味線に出会い、11才で稽古を始める。
17才の時、津軽三味線奏者の初代・高橋竹山のレコードを聴いたのがきっかけとなり、18才で竹山の内弟子となる。三味線のみならず、名人とうたわれた成田雲竹の格調高い津軽民謡も師・竹山から学びながら、高橋竹与(ちくよ)の名で師・竹山と共に舞台に立つ。
内弟子生活6年を経て1979年に自立。翌1980年、初の独演会を東京・渋谷ジアン・ジアンで開く。以後、独自の演奏活動を行いながら、師・竹山について日本国内はもとより、1986年のアメリカ7都市公演、1992年のフランス・パリ公演など海外でも演奏する。

1995年6月
師・竹山から独立して15年目を迎えたのを期に初のアルバム「津軽三味線とその試み」(ディスク・ジアン・ジアン)を発表。三味線独奏曲や師・竹山との三味線二重奏曲などの他、天才劇詩人として時代を駆け抜けた寺山修司が竹与の為に作詞し、竹与自身が作曲した『さらば東京行進鹿』『歌のわかれ』『せきれい心中』『紅がすり抄』、北海道民謡「江差追分」とアラブの民謡をベースにした、ヴァイオリンの太田恵資との即興的セッション『北の唄』、三味線とジプシーヴァイオリンが交錯するトルコ舞踊曲『ロンガ・シヤーナーズ』などを収録。
1996年8月
イギリスのエジンノでラ・フェステイルレに参加。以後5年に渡り毎年参加する。
1997年1月
「高橋竹与」改め「二代目・高橋竹山」を襲名。襲名披露演奏会(ゲスト出演=初代・竹山)を渋谷ジアン・ジアンで開く。
11月、二代目襲名から十か月にわたって二人の「竹山」-の動きを追い、初代が残そうとするもの、二代目が弓lき継ごうとするものを描いたNHK人間ドキュメント「弾き継ぐ~津軽三味線・高橋竹山の襲名」放送。
1998年9月
二代目襲名後の初のアルバム「三味線口説」(ディスク・ジアン・ジアン)を発表。
10月、アメリカ・ロサンゼルス、シアトルにて公演。ジャズ・フェスティバルにも参加、地元のジャズ・ミュージシャンと共演する。
2000年2月
ニューヨーク・フロム・ジャパンの招きにより、アメリカ・ワシントンDC、ニューヨークにて公演。2枚組アルバム「chikuzan」を発表。
2008年10月
紀尾井小ホールにて、初代竹山没後十年特別公演ドラマリーディング「高橋竹山 津軽三味線ひとり旅」主催
財団法人新日鍼文化財団)で音楽を担当し、演奏者として出演する。
8年ぶりの新譜アルバム「三味線じょんから 一竹山の汀へー」を発表。
基本を大切にしながら民謡にこだわらず、様々なジャンルの演奏家たちと共演して活動の場を広げ独自の音楽表現を模索。伝統にモダンな現代感覚と女性らしい繊細さを盛り込んで、全国各地をまわり演奏活動を続ける。

NEO證誠プロジェクト【NSP】:通称
お寺本来のコミュニティ機能を活性化し、お寺と人が触れ合う機会を増やすことで、地域も人も元気にしたいとの思いから、有志にて設立した任意の団体。今後は定期的にお寺を活用した様々なイベントを開催する予定。