證誠寺歴代法主一覧
寛政元年5月3日、上人号勅許。歴 代 | 法 灯 | 生年月日 | 往年月日 | 寂年 | 備 考 |
宗祖 | 親鸞 | 承安3年4月1日 | 弘長2年11月28日 | 90 | 承元元年越後に配流の途次、山元に留錫して、浄土真宗の教えを授く。 |
第二世 | 善鸞 | 承元元年10月13日 | 建治3年9月14日 | 71 | 文暦2年越前丹生郡山元に住居し、本願一実の御法を説く。 |
第三世 | 浄如 | 嘉禎2年12月2日 | 応長元年9月5日 | 76 | 文永5年、山元に仏字を造立し、相伝の宗風を継ぐ。 |
第四世 | 鸞如 | 文永2年2月13日 | 康永元年1月13日 | 78 | |
第五世 | 旦應 | 元応元年2月23日 | 応永5年5月7日 | 80 | |
第六世 | 如顕 | 貞治3年9月3日 | 文安2年3月7日 | 82 | |
第七世 | 道閑 | 至徳3年2月5日 | 文正元年6月3日 | 81 | |
第八世 | 道性 | 永享11年1月3日 | 大永元年9月9日 | 86 | 文明7年、横越に移り、仏字を造立する。 |
第九世 | 善充 (善秀) |
文正元年4月3日 | 天文20年5月26日 | 87 | 明応8年、上人号勅許、大僧都を拝任。 |
第十世 | 喜壽 | 天文6年6月5日 | 天正20年5月26日 | 51 | |
第十一世 | 善教 | 永禄元年3月1日 | 慶長5年5月5日 | 78 | 文禄2年、寺基村国村へ移る。 |
第十二世 | 善光 | 永禄5年1月5日 | 元和7年3月26日 | 60 | |
第十三世 | 善如 | 慶長7年9月20日 | 正保元年5月26日 | 43 | |
第十四世 | 善 | 元和5年2月3日 | 明暦2年1月18日 | 38 | |
第十五世 | 善養 | 寛永13年1月5日 | 宝永5年11月4日 | 72 | |
第十六世 | 善應 | 承応2年5月3日 | 享保6年8月1日 | 69 | 元禄3年、村国村より横越村に戻る。 同6年11月18日、上人号勅許。 |
第十七世 | 善閑 | 元禄4年7月6日 | 宝暦4年8月3日 | 64 | |
第十八世 | 善阿 | 享保7年5月1日 | 安永4年2月5日 | 54 | 宝暦9年7月29日、上人号勅許。 |
第十九世 | 善念 | 寛延2年1月6日 | 享和3年5月3日 | 55 | |
第二十世 | 善超 | 天明5年1月1日 | 安政2年7月13日 | 71 | 文化8年10月19日、上人号勅許。 |
第廿一世 | 善融 | 文化9年7月15日 | 明治28年12月27日 | 84 | 明治11年8月24日、権少教正を拝任、同年10月7日、上人号勅許。明治17年12月5日、管長職となる。 |
第廿二世 | 善住 | 嘉永5年8月11日 | 大正10年10月17日 | 70 | 明治18年、権少教正を拝任。明治18年、管長継職。 |
第廿三世 | 善瑩 | 明治13年3月3日 | 昭和13年11月29日 | 59 | 明治38年4月3日、管長継職。 |
第廿四世 | 善敬 | 明治42年2月6日 | 昭和59年5月18日 | 75 | 昭和5年1月14日、管長継職。 |
第廿五世 | 善鷲 | 昭和21年11月2日 | 昭和58年6月1日、證誠寺に入寺。昭和59年5月19日、管長継職。 |
證誠寺略年表
年 月 | 事 項 |
承安三(1173)年4月 | 宗祖親鸞聖人生まれる。 |
建仁元(1201)年 | 親鸞。延暦寺を出て六角堂に参籠、霊告を得て吉水の禅堂に入る。 |
承元元(1207)年2月 | 親鸞、藤井善信の俗名をつけられ、越後国府に遠流さる。途中越前国丹生郡山元に滞在し、本願他力の法を説く。 |
〃 10月 | 善鸞が誕生する。幼名鶴千代、のち慈信坊を名乗る。 |
文暦元(1234)年 | 越前の門徒上京し、聖人再度の下向を渇仰、嫡子善鸞が越前山元に下向。 |
弘長二(1262)年12月 | 親鸞入寂、年90歳。 |
文永五(1268)年 | 三世浄如、山元に仏字を造立する。 |
健治三(1277)年9月 | 善鸞入寂、年71歳。 |
応長元(1311)年9月 | 浄如入寂、年76歳。 |
正和二(1313)年 | 越前長泉寺別当狐山、「愚闇記」を書いて一向宗を批判するのに対し、専修寺如道は、「愚闇記札」を書き反論する。 |
文明二(1470)年 | 八世道性のとき、山元兵火に罹り、長泉寺台徒の攻撃により上人山元を去り、足羽村に凡そ5年蟄居する。 |
〃 七(1475)年3月 | 道性、山元の地より證誠寺の寺基を横越に移す。 |
〃 八(1476)年9月 | 九世善充(善秀)、権大僧都に任官。 |
大永元(1521)年9月 | 道性入寂、年86歳。 |
天文二十(1551)年5月 | 善充(善秀)入寂、年87歳。 |
天正十五(1587)年正月 | 十世善壽入寂、年51歳。 |
文禄二(1593)年 | 善教入室し、善壽二女伊都姫と結婚し、十一世となる。 義弟善照は善壽の長女伊弥女と結婚。分派の後、出雲路亳摂寺の旧号を襲ぐ。 |
〃 | 当山焼打ちに遭い、府中村国村に移る。 |
延宝四(1676)年 | 村国村に於いて惑乱の儀あり、門末離散、滅亡に及ぶ処、福井藩の処置により門徒の大半旧に復し、横越に帰住する。 |
元禄六(1693)年11月 | 十六世善應、上人号勅許。 |
〃 七(1694)年 | 有栖川宮幸仁親王より、山元山證誠寺の真筆を賜う。 |
〃 十一(1698)年 | 越前国今立郡横越村、小浜藩領となる。 |
〃 十七(1707)年 | 小浜藩主酒井忠音より、開山堂再興のため松大木・柾木等を寄贈される。 |
寛延二(1749)年 | 小浜藩主酒井忠囿により開山堂等再建あり。歴代藩主の位牌を納められる。 |
宝暦五(1755)年7月 | 十八世善阿、聖人遺骨の分骨由来記を作成する。 |
〃九(1759)年 | 善阿、上人号勅許。 |
天明五(1785)年1月 | 二十世善超(東溟)、西園寺家の庶流小倉見季朝臣の二男として生まれる。 |
寛政元(1789)年 | 十九世善念、上人号勅許。 |
〃 11月 | 夜半当時中より失火、各御堂焼失。 |
〃三(1791)年 | 季維、今出川大納言実種の猶子となる。 |
享和三(1803)年5月 | 善念入寂、年55歳。 |
文化三(1806)年9月 | 今出川季維、名を善慧(善恵)と改め、二十世法主として證誠寺へ入山する。 |
〃四(1807)年夏 | 舟津神社神主橋本政恒、今出川の君達入寺の祝の和歌を送る。後年東溟、橋本政恒・政貞父子の鯖江歌壇に参加する。 |
〃 | 善慧、勧修寺権中納言経則の妹と結婚。 |
〃八(1811)年10月 | 善慧、上人号勅許御礼に参内、小御所で天顔を拝す。ついで名を善超と改める。 |
〃十二(1815)年秋 | 府中天野屋仁左エ門、独力で総墓を寄進。 |
文政四(1821)年12月 | 御影堂等炎上焼失。 |
〃五(1822)年閏正 | 善超、本堂再建のため、信徒に「御再興御書」の御消息を発す。 |
天保二(1831)年 | 東溟(善超)、文政2年に書いた大和巡遊の旅日記等を『漫遊草稿』に著酢す。 |
〃八(1837)年 | 東溟、天保飢饉の折の高山郡代大井永昌の顕彰碑文を書す。 |
〃九(1838)年夏 | 東溟、京都を巡遊し『うの花日記』を著す。 |
〃十(1839)年 | 善超、木像阿弥陀如来尊像も縁起1巻を著す。 |
嘉永三(1850)年 | 善超、法主を二十一世善融に譲る。 |
〃四(1851)年 | 飛騨郡代小野高福、高堅らに招かれ、高山・古川を訪れ歌会などに参加する。 十九世善念上人五十回忌法要。 |
〃五(1852)年 | 東溟、『梅窓小録』を著す。 |
〃六(1853)年 | 東溟、徳川斉昭の仏教軽視等に対し、『献策私評』を書き、反論する。 |
安政二(1855)年7月 | 東溟、京都東山の寓居にて入寂。8月20日本山にて葬儀厳修される。 |
明治五(1872)年 | 小宗派の独立を禁ずる政府の布告により、本願寺派に所属。 |
〃九(1876)年 | 善鸞上人六百回忌法要。 |
〃十一(1878)年 | 本願寺派から独立し、真宗山元派を立てる。 |
〃 8月 | 善融、権少教正を拝任する。 |
〃 10月 | 善融、上人号勅許、明治天皇北陸道巡幸の際、福井東本願寺別院の行在所にて拝謁。 |
〃十七(1884)年12月 | 善融、管長を継職。 |
〃十八(1885)年 | 二十二世善住、権少教正を拝任する。管長を継職。 |
〃十九(1886)年 | 真宗山元派宗制寺法を定め、内務大臣の許可を受ける。 |
〃二十八(1896)年12月 | 善融入寂、年84歳 |
〃三十八(1905)年4月 | 二十三世善瑩、管長を継職。 |
〃四十四(1911)年3月 | 宗祖親鸞聖人の650回忌の大遠忌に際し、同行中に御消息を発す。 |
〃四十五(1912)年6月 | 朝鮮慶尚北道に、倭館布教所を設置する(昭和8年段階で朝鮮での布教地は5箇所)。 |
大正十(1921)年10月 | 善住入寂、年70歳。 |
昭和四(1929)年1月 | 二十四世善敬、管長を継職。 |
〃八(1933)年7月 | 九州の戸畑・八幡・小倉などに真宗山元派説教所を設立する(12月段階で全国で20箇所)。 |
〃十三(1938)年11月 | 善瑩入寂、年59歳。 |
〃二十三(1948)年4月 | 失火により御影堂・阿弥陀堂・対面所・書院等を焼失する。 26年御影堂、39年阿弥陀堂、40年対面所、50年書院が再建される。 |
〃五十六(1981)年 | 国道417号線拡張工事に伴い、境内地が削られ、庫裡・土蔵・庭園・五筋堀等の移転改策を余儀なくされ、約4年の歳月を経て完成する。 |
〃五十九(1984)年5月 | 二十五世善鷲、管長を継職。 前管長の再建工事を完成し、さらに墓地の整備、鐘楼堂・御影堂への渡り廊下の改修や御影堂・阿弥陀堂の内陣の荘厳が順次完成する。 |
平成十六(2004)年6月 | 山門の新築、太鼓堂・廊下等の増改築を行い、東溟上人150回忌法要を厳修する。 |
〃十九(2007)年3月 | 『真宗山元派本山證誠寺史』を刊行する。 |