2014/6/8(日) 高橋竹山コンサート

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☆前回大変ご好評いただきました、高橋竹山氏のコンサートが2年ぶりに決定いたしました!!!☆

日時:2014年6月8日(日) PM6:00開演
会場:證誠寺(しょうじょうじ)御影堂
料金:3,300円(当日500円増し) ◇定員150名◇

※全席自由→椅子席はございません。但し身体上の理由によりご入り用の方は、事前にお問い合わせください。

【お問い合わせ先】證誠寺事務所 ☎0778-51-0636

<二代目高橋竹山 プロフィール>

幼少の頃に三味線に出会い、11才で稽古を始める。
17才の時、津軽三味線奏者の初代・高橋竹山のレコードを聴いたのがきっかけとなり、18才で竹山の内弟子となる。三味線のみならず、名人とうたわれた成田雲竹の格調高い津軽民謡も師・竹山から学びながら、高橋竹与(ちくよ)の名で師・竹山と共に舞台に立つ。
内弟子生活6年を経て1979年に自立。翌1980年、初の独演会を東京・渋谷ジアン・ジアンで開く。以後、独自の演奏活動を行いながら、師・竹山について日本国内はもとより、1986年のアメリカ7都市公演、1992年のフランス・パリ公演など海外でも演奏する。

1995年6月
師・竹山から独立して15年目を迎えたのを期に初のアルバム「津軽三味線とその試み」(ディスク・ジアン・ジアン)を発表。三味線独奏曲や師・竹山との三味線二重奏曲などの他、天才劇詩人として時代を駆け抜けた寺山修司が竹与の為に作詞し、竹与自身が作曲した『さらば東京行進鹿』『歌のわかれ』『せきれい心中』『紅がすり抄』、北海道民謡「江差追分」とアラブの民謡をベースにした、ヴァイオリンの太田恵資との即興的セッション『北の唄』、三味線とジプシーヴァイオリンが交錯するトルコ舞踊曲『ロンガ・シヤーナーズ』などを収録。
1996年8月
イギリスのエジンノでラ・フェステイルレに参加。以後5年に渡り毎年参加する。
1997年1月
「高橋竹与」改め「二代目・高橋竹山」を襲名。襲名披露演奏会(ゲスト出演=初代・竹山)を渋谷ジアン・ジアンで開く。
11月、二代目襲名から十か月にわたって二人の「竹山」-の動きを追い、初代が残そうとするもの、二代目が弓lき継ごうとするものを描いたNHK人間ドキュメント「弾き継ぐ~津軽三味線・高橋竹山の襲名」放送。
1998年9月
二代目襲名後の初のアルバム「三味線口説」(ディスク・ジアン・ジアン)を発表。
10月、アメリカ・ロサンゼルス、シアトルにて公演。ジャズ・フェスティバルにも参加、地元のジャズ・ミュージシャンと共演する。
2000年2月
ニューヨーク・フロム・ジャパンの招きにより、アメリカ・ワシントンDC、ニューヨークにて公演。2枚組アルバム「chikuzan」を発表。
2008年10月
紀尾井小ホールにて、初代竹山没後十年特別公演ドラマリーディング「高橋竹山 津軽三味線ひとり旅」主催
財団法人新日鍼文化財団)で音楽を担当し、演奏者として出演する。
8年ぶりの新譜アルバム「三味線じょんから 一竹山の汀へー」を発表。
基本を大切にしながら民謡にこだわらず、様々なジャンルの演奏家たちと共演して活動の場を広げ独自の音楽表現を模索。伝統にモダンな現代感覚と女性らしい繊細さを盛り込んで、全国各地をまわり演奏活動を続ける。

 

観客の心と笑顔を自然に引き出した国本氏の演奏

 浪曲の世界を覆した浪曲を超えた浪曲であった。
12月1日に證誠寺で行われた国本武春氏浪曲コンサート。
天候は雷が鳴り、激しい雨が降り、冬の本格的な到来を感じさせるものとなったが、国本氏の演奏はそんな天候を忘れさせるほど熱く、温かいものであった。魅せる、聴かせる、笑顔にする、そんなアットホームな演奏に誰もが自然と手拍子をし、口ずさみ、まるで予行練習したかのような一体感を感じた。

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 国本氏の三味線から奏でられるものは、過去から現代、日本各地から世界にかけて、ユーモアを交えた輝かしい世界であった。そしてその世界は、寒さで垂れていた観客の頭を自然と上げさせていた。国本氏と共に声を発し、歌い、笑っていた。いつの間にか、冬が終わり暖かい春を迎えたような、そんな会場になっていた。

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 終始、身体全体で音楽を表現し、言葉を表現し、観客の心と笑顔を自然に引き出す国本氏の演奏は力強く天まで届きそうな勢いであった。会場に響き渡る観客の声は次第に大きくなり、「笑い」から「大笑い」になり、笑顔が会場中に咲きみだれていた。
「人と人とが繋がる瞬間」。そんなことをしみじみと、そして深く感じた時間であった。

2013/6/8(土)狩野泰一 篠笛コンサート


第2回のNEO證誠プロジェエクトイベントが決定いたしました。


[狩野泰一氏 略歴]
 1963年東京生まれ。13歳でドラムを始め、一橋大学在学中にライブ活動を開始する。ニューヨーク留学中、自己のアイデンティティーに目覚め帰国。1987年「鼓動」のメンバーになって以来、カーネギーホールを始めとする世界20カ国で1000回を超える公演に参加し、1997年に独立。

 佐渡島に暮らしながら日本古来の「篠笛」の可能性を広げ、2005年ヤマハからメジャーデビュー。自然でここちよい楽曲を発表し続けている。
これまで、南こうせつ、サリナ・ジョーンズ、中西圭三、河村隆一(敬称略)など多くのアーティストと共演。近年は、欧米、インド、中東、アフリカ等活動の幅を世界に広げ、塩谷俊監督の映画「種まく旅人」、復興支援の演劇「HIKOBAE」の音楽プロデュースも手掛けている。

 篠笛ワークショップを全国で展開して、祭の楽しさを伝え、鳥笛ワークショップ等で自然の素晴らしさ、大切さを訴えている。「あそびも仕事も創るもの!」等、篠笛演奏を交えての講演会は各方面で好評。

高橋竹山コンサートレポート



2012年10月21日、NSP(ENO證誠プロジェクト)の初イベントとして、2代目高橋竹山氏のコンサートが證誠寺にて行われた。

 津軽三味線は、今日まで過ごしてきた私にとっては縁遠く、初めて聞く音色や歌であった。静かな三味線の旋律が会場に響き渡り、それは時に力強く、時に繊細にして、多彩な音色を奏でていった。約180年前に生まれた音は廃ることなく、色とりどりの音色を響かせる三味線のそれを受けた私は、今まで感じたことのない世界に圧倒されるばかりであり、それはまるでその当時生活していた人々の活気ある声や、その土地の声が聞こえてくるようであった。



 津軽三味線の音色と共に見えてきたものは四季折々の風景であった。最初は緩やかに穏やかに、そして徐々に力強く弾かれる弦の音は、まるで人間・自然が生まれ持った生命のエネルギーを沸々と湧き上がらせるものであった。自然と背筋が伸び、音と共に心の旋律までもが、ぴんと張っていくようだった。七色では収まりきらない交差する津軽三味線の繊細な音色と、竹山氏の歌声が重なった時、その音の世界はより大きく創大なものへと変化し、多様に折重なる津軽三味線の音の世界に私は感動した。



 演奏が終わると共に、盛大になっていく拍手を耳にするたびに「あぁ、私だけでなく会場にいるみんなの心にも響くものがあったのだ。」と感じた。そして、竹山氏と観客が一緒に声を重ねて歌っていた時、私は何かしら心からあたたかいものが湧き上がってくるのを感じた。楽しそうに、嬉しそうに手拍子を交えてみんなで奏でられる歌は、津軽三味線だけでなく、人の心が一体となることによって初めて生まれるのだと思った。



 演奏が終わり、帰宅の途へ着く観客たちの顔は誰もが笑顔で、「来てよかった」と何度も何度も繰り返し言って帰られる方もおられた。今回のイベントを通して、私は「人の心」を通じて感動や幸せを伝えられることを改めて感じた。みんなが笑顔で帰宅していく姿がとても嬉しく、NSPとしてこれから取り組むことは、人を、心を笑顔にできるイベントに取り組んでいくことだと私は思った。今回のコンサートは、まだ右も左も分からない私たちNSPのメンバーに、これから何を目指して何に取り組むべきか道標を示してくれたと思った。



 今回、無事に高橋竹山コンサートを證誠寺にて開催できましたことに、竹山氏をはじめといたしましてご協力いただきました人々に感謝申し上げますと共に、同時に安堵し又次回に向けまして多くの課題も見つかったのではと感じたのも、私自身正直なところでもある。これからも、竹山氏のように凛とした姿勢で、思いやりを持ちながら、1人でも多くの人を笑顔にできるイベントを行っていきたい。

2012/10/21(日)高橋竹山コンサート


日時:2012年10月21日(日) PM6:00開演
会場:證誠寺(しょうじょうじ)御影堂
料金:3,000円(当日500円増し)


<二代目高橋竹山 プロフィール>

幼少の頃に三味線に出会い、11才で稽古を始める。
17才の時、津軽三味線奏者の初代・高橋竹山のレコードを聴いたのがきっかけとなり、18才で竹山の内弟子となる。三味線のみならず、名人とうたわれた成田雲竹の格調高い津軽民謡も師・竹山から学びながら、高橋竹与(ちくよ)の名で師・竹山と共に舞台に立つ。
内弟子生活6年を経て1979年に自立。翌1980年、初の独演会を東京・渋谷ジアン・ジアンで開く。以後、独自の演奏活動を行いながら、師・竹山について日本国内はもとより、1986年のアメリカ7都市公演、1992年のフランス・パリ公演など海外でも演奏する。

1995年6月
師・竹山から独立して15年目を迎えたのを期に初のアルバム「津軽三味線とその試み」(ディスク・ジアン・ジアン)を発表。三味線独奏曲や師・竹山との三味線二重奏曲などの他、天才劇詩人として時代を駆け抜けた寺山修司が竹与の為に作詞し、竹与自身が作曲した『さらば東京行進鹿』『歌のわかれ』『せきれい心中』『紅がすり抄』、北海道民謡「江差追分」とアラブの民謡をベースにした、ヴァイオリンの太田恵資との即興的セッション『北の唄』、三味線とジプシーヴァイオリンが交錯するトルコ舞踊曲『ロンガ・シヤーナーズ』などを収録。
1996年8月
イギリスのエジンノでラ・フェステイルレに参加。以後5年に渡り毎年参加する。
1997年1月
「高橋竹与」改め「二代目・高橋竹山」を襲名。襲名披露演奏会(ゲスト出演=初代・竹山)を渋谷ジアン・ジアンで開く。
11月、二代目襲名から十か月にわたって二人の「竹山」-の動きを追い、初代が残そうとするもの、二代目が弓lき継ごうとするものを描いたNHK人間ドキュメント「弾き継ぐ~津軽三味線・高橋竹山の襲名」放送。
1998年9月
二代目襲名後の初のアルバム「三味線口説」(ディスク・ジアン・ジアン)を発表。
10月、アメリカ・ロサンゼルス、シアトルにて公演。ジャズ・フェスティバルにも参加、地元のジャズ・ミュージシャンと共演する。
2000年2月
ニューヨーク・フロム・ジャパンの招きにより、アメリカ・ワシントンDC、ニューヨークにて公演。2枚組アルバム「chikuzan」を発表。
2008年10月
紀尾井小ホールにて、初代竹山没後十年特別公演ドラマリーディング「高橋竹山 津軽三味線ひとり旅」主催
財団法人新日鍼文化財団)で音楽を担当し、演奏者として出演する。
8年ぶりの新譜アルバム「三味線じょんから 一竹山の汀へー」を発表。
基本を大切にしながら民謡にこだわらず、様々なジャンルの演奏家たちと共演して活動の場を広げ独自の音楽表現を模索。伝統にモダンな現代感覚と女性らしい繊細さを盛り込んで、全国各地をまわり演奏活動を続ける。

NEO證誠プロジェクト【NSP】:通称
お寺本来のコミュニティ機能を活性化し、お寺と人が触れ合う機会を増やすことで、地域も人も元気にしたいとの思いから、有志にて設立した任意の団体。今後は定期的にお寺を活用した様々なイベントを開催する予定。